ペッパー・エクスチェンジ

インターナショナル・ペッパー・エクスチェンジではユニークな体験が待っています。ここは世界で唯一胡椒が交換通貨になる場所です。ユダヤ人街のスパイス・マーケットの近くにあり、ケララで唯一のオンラインでの商品交換所でもあります。1957年に設立され、昔ながらの物々交換が今でも実際に行われているのを見ることができる素晴らしい場所です。香りの様々な胡椒や興味深いスパイスを購入できます。

コチにおけるスパイス交換は主に昔この地に定住したユダヤ人が行っていました。しかし、イギリスの支配が終わった後、イスラエルが建国されてからというものユダヤ人たちはスパイスの倉庫を離れてイスラエルに向かいました。今では、その文化の名残だけが残り、観光客はショウガや胡椒から漂う香りをかいで街を歩き、豊かな遺産を散策できるようになりました。

ペッパー・エクスチェンジ

パレード・グラウンド

4エーカーの敷地のパレード・グラウンドは、イギリスや、オランダ、ポルトガル軍が軍事演習やパレードを行った場所です。パレード・グラウンドは武器を保管するためのポルトガル建築の一部でした。グラウンドはかつてポルトガルやオランダの植民者たちがホッケーやサッカー用に使い、イギリス人はクリケット場として使っていました。植民地時代は、グラウンドにはポルトガル、オランダ、イギリスの旗が立っていました。独立後、イギリスのユニオンジャックが撤去され、インドの三色旗が掲げられ、海軍と地元クラブのホッケーの試合が日常的に行われるようになりました。サッカーの国際試合のトーナメントもここで行われていました。今では、グラウンドはサッカーやクリケットをするためのアリーナになっています。コチの国際現代芸術祭であるコチ・ムジリス・ビエンナーレもここで行われます。

パレード・グラウンド

マッタンチェリー

香辛料や、手工芸品、文化、グルメの混ざり合うマッタンチェリーは、コチで最もにぎやかな場所でしょう。きスパイスや本格的な料理の香りをかぎ、文化と伝統があらゆるところににじみ出るにぎやかな通りを歩くのがおすすめです。この場所は特に素晴らしい現代アートのような明るい色で塗られた壁が特徴的です。有名なのはケララと植民者のスタイルが美しく融合したマッタンチェリー宮殿(ダッチ宮殿)です。エルナクラムから約12km離れた宮殿は、1545年にポルトガル人によってコチ朝のヴェーラ・ケララ・ヴェルマ(Veera Kerala Verma)への贈り物として建てられました。宮殿はオランダの支配下で何度も改修され、ダッチ宮殿の名で知られるようになりました。長く広いホールや壁を飾る素敵な壁画を眺めることができます。中にはラーマーヤナやマハーバーラタといったインド叙事詩の場面を描いたものもあります。2階建ての建物には偉大な詩人カーリダーサの作品も収められています。コーチンの君主たちの等身大の肖像画や、鞘入りの剣、斧、短剣、羽飾りのついた祝い事用の槍とともに、貴族の帽子やコーチンの君主が発行した硬貨などからから貴族の生活を垣間見ることもできます。

マッタンチェリー

マヌエル要塞

インドでも初期のヨーロッパ要塞として、イマヌエル要塞は1503年にポルトガル人によって建てられました。コチ城塞にあり、コチの君主とポルトガル国王の同盟関係の象徴でした。浜辺の壮大な建物は、探検するのに面白い場所です。特徴的な遺跡はポルトガルの貴族の名残や当時の建築のすばらしさを反映しています。

伝説によればポルトガル人たちはコチの君主に1500年に迎え入れられたと言われています。王と協定を結んだ後、ポルトガル人は段々とその勢力を拡大しインドに初めてヨーロッパ風都市サンタ・クルーズ・シティを築きました。街はオランダの植民者たちがやってくる前まではポルトガル人たちの砦でした。

マヌエル要塞

時計台

壮大な時計台はコチのマッタンチェリー地域にそびえたっています。有名なパラデーシュ・シナゴーグのすぐ隣にあります。この45フィートの建築物には4つの時計があり、ヘブライ語、ラテン語、マラヤーラム語で数字が書かれていますが、1つは何も書かれていません。時計台のマハラジャのほうを向く文字盤にはマラヤーラム語で数字が書かれシナゴーグのほうを向いているものにはヘブライ語、3つ目にはローマ数字が書かれています。こうした数字が書かれているのは、ユダヤ人も、ラテン人も、マラヤーラム人も混ざってこの地域を故郷と呼んでいるからです。すべてのコミュニティに属する人々に時間を知らせるため、時計台は毎時音が鳴り、さまざまな言語で記されているのです。時計台は地元の有名実業家エゼキエル・ラハービ(Ezekiel Rahabi)が1760年に依頼し、1930年までは完全に動いていました。

シナゴーグへ向かう道に入ると、時計台はちょうど正面を向くので、まず「この時計が動いていたころはどんな音がしていたのだろう?」という考えが思い浮かぶでしょう!

時計台

ダッチ墓地

フォート・コチ・ビーチの途中にあるダッチ墓地は、インドでもかなり古いものです。当時のオランダ建築を反映した墓地は高い壁で仕切られています。入り口の古い柱には1724という年号が刻まれています。墓地には104の慰霊碑と墓石があり何百人ものオランダ人やイギリス人の記録が残っています。墓の多くは花崗岩や赤いラテライトで作られており、十字架はありません。大きい墓から小さい墓まであり記念碑には古いオランダ語が刻まれています。歴史資料によると、ここに眠ることになった最後の人は1913年に亡くなったヨセフ・エセルバート・ウィンクラー将軍(Captain Joseph Ethelbert Winckler)だそうです。

ダッチ墓地

インド海軍博物館

インド海軍を讃えた海軍博物館はコチ城塞の海軍砲術学校にある素晴らしい場所です。博物館に入ると、西暦712年から現在に至るインド海軍の進化を物語る木のボードが出迎えてくれます。博物館のギャラリーはかつての燃料庫の中にあり、ケララの歴史を垣間見せてくれるものもあれば、海軍の豊かな歴史やインダス文明のころからのインドの海事の歴史を説明してくれるものもあります。博物館の目玉はヨーロッパ人がコンカン湾に到着するまでの詳細な海路の地図です。有名なポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマや、ポルトガル海軍相手に勇敢にたたかった伝説の海の戦士クンハーリ・マラッカルのモデルも見ることができます。博物館にはインドで行われていた造船に関する立派な文献のアーカイブもあります。さらに、1965年カルギル戦争、1971年のゴア併合といったパキスタンとの戦争におけるインド海軍の貢献を詳細に記した展示を見ることもできます。旗や、階級章、制服、各時代の海軍のレガリア、分裂時にパキスタン海軍に贈った記念品でなどが展示されています。記念品には「さようなら、そして幸運を祈る」と書かれています。武装や海軍のモデル、その他の設備を見ることもできます。

博物館は海軍の歴史を知ってもらうため2001年に設立されました。

インド海軍博物館

ケララ・ラリ・タカラ・アカデミー

1962年に設立された芸術アカデミーは、アートと芸術遺産の振興のために作られました。アカデミーの目標は文化や、絵画、塑造・視覚芸術の振興です。州の文化局のもとで活動する文化的な独立機関です。トリチュールにあるアカデミーの建物は、驚くべき建築です。有名画家のK.C.S.パニカーやT.K.パドミニの作品を見ることもできます。ケララにおける文化的・芸術的な議論やイベントの中心地として、アカデミーはベテランのアーティストたちが新人アーティストたちと交流できるユニークな場となっています。アカデミーは彫刻や、写真、陶芸、グラフィック、絵画といったビジュアルアートの発展においても重要な役割を果たしています。

ケララ・ラリ・タカラ・アカデミー

ケララ歴史博物館

エダパリー地域にあるケララ歴史博物館では、ケララ州を海から彫りだしたと信じられている賢者パラシュラーマの像が出迎えてくれます。さらに先へと進めば、ケララの各時代の歴史に関する様々な興味深い展示を見ることができます。新石器時代から現代まで、進化の様子が等身大の人形によってあらわされています。博物館には3つのギャラリーがあります。ケララ歴史博物館、現代アートギャラリー、人形博物館です。ケララ歴史博物館が一番古く、ケララの歴史を36個のジオラマで見せてくれます。現代アートギャラリーにはラヴィ・ヴァルマや、M.F.ハセイン、F.N.ソウサ、ランキンカー・ベイジなどのインドの現代作家による230近くの作品のコレクションがあります。人形博物館にはインドの文化やダンスの伝統を描いた150体の人形があります。見逃せないイベントとして英語とマラヤーラム語による音と光のライブショーがあります。

ケララ歴史博物館

ビショップス・ハウス

コチ城塞のパレード場付近の小さな丘の上にあるビショップス・ハウスは、驚くべき建築物です。巨大なゴシック風アーチと円形の庭の小道が正面玄関までぐるりと続くこの家は、見ているだけでうれしくなります。ほかにも、迷路のような廊下や、立派なリビング、ステンドグラス窓、木の階段、メイン階段近くの大理石の飾り板などの特徴があります。家の壁は36枚のケララでのカトリック教会創設にかかわる歴史上の出来事を描いた貴重な絵画で飾られています。家はポルトガル人統治者の住居として1506年に建てられました。その隣には、コーチン教区の様々な教会から集められた貴重な品々を所蔵するインド・ポルトガルミュージアムがあります。

ビショップス・ハウス

パリポート(パリプラム)城塞

インドで現存する中でもかなり古いヨーロッパ城塞で1503年にポルトガル人に建てられたヴァイピーン島のパリプラム(Pallipuram)城塞は、街の特徴的な名所です。ヨーロッパの遺産の数々を保存した城塞は、六角形をしており、石灰やラテライト、木で作られています。建物の建築は5フィートの低い土地に作られているので特徴的です。城塞のレイアウトは銃を装備し城塞中の部屋に命令を出しやすくなっています。内側には、開けたスペースがあり蔵へとつながっています。地元の伝説では、蔵はクランガノルのチェラマン・マスジッドにつながるトンネルだと言われています。

パリポート(パリプラム)城塞

ピアース・レスリー・バンガロー(Pierce Leslie Bungalow)

街の風情ある魅力的なスポットであるピアース・レスリー・バンガローは、1892年に建てられました。街でもかなり有名な歴史的建築物で、その壮大な建築を見に各地から観光客が訪れます。ケララと、オランダ、ポルトガル様式のユニークに融合した豪邸は、一階の屋根の繊細な木のパネルや、アーチ状の廊下、広々とした部屋、彫刻された扉を誇ります。この豪邸に連なるバルコニーや数多くの部屋は、素晴らしい見た目です。バンガローには優雅さを醸し出す海に面したベランダのほかにコーダーハウスとオールドハーバーハウスという2つの家があります。この建物はインドの有名コーヒー店グループであるピアース・レスリー&カンパニーのオフィスとして使われていました。

ピアース・レスリー・バンガロー(Pierce Leslie Bungalow)

ダーバー・ホール

街の中心にある築100年のダーバー・ホールは静かな場所で、歴史的な魅力を備えています。かつて王たちの会議場所だったホールは、重要な文化スポットです。

現在は、ダーバー・ホール・アート・ギャラリーとして知られています。建物はいかにもなオランダ風の外観をしており、奥深いベランダ、現代的な内装、大理石の床を備えています。有名画家ラディ・ヴァルマや、マニュ・パレク、ソウサ、パドミニなどの絵画が壁に掛けられています。1階はケララ・ラリタカラ・アカデミーに贈与され、1991年に現代美術ギャラリーをオープンしました。常設展もあります。

ダーバー・ホール

グリーニクス・ヴィレッジ

ケララのユニークな文化とアートの村であるグリーニクスでは、州の豊かな伝統を知る魅力的な体験ができます。毎晩、有名なダンス演劇であるカターカリが武術芸術カラリパヤットとともに上演され、観客を驚かせます。さらに、ミュージアムでは夜のインドの伝統舞踊や朝のヨガクラスで文化の歴史を視覚的・聴覚的に体験できます。アートギャラリーのレストランや、本屋、ケララの工芸品店、家内工業・骨とう品店なども村の特色を彩っています。グリーニクスは2006年に生まれ、アーティストも何人か住んでいます。「ケララ州観光局ベスト・イノベーティブ・プロジェクト」賞を受賞したこともあります。.

グリーニクス・ヴィレッジ

コチ城塞遺産

植民地時代の名残を残すコチ城塞は、インドで最初の方にできたヨーロッパ風都市です。フォッシー通りの南に位置するコチ城塞は、高い木立や古い家の窓から顔をのぞかせるカラフルな花々の並ぶ狭い路地を誇る静かな立ち寄り地。ポルトガル人によって1506年に建てられた城塞は、今もなお過去の栄光の跡を残しています。特に興味深いのがコチ城塞の通りで、文化や遺産を大胆に見せてくれる姿に驚きを感じます。最も人気な場所はプリンセス・ストリート、バーガー・ストリート、ローズ・ストリート、タワー・ロードなど。ジュー・ストリートやパレス・ロード、TDスクールロードなどを静かに散歩すれば、別時代に行ったような気分が楽しめます。付近のフォート・コチ・ビーチも観光スポットです。静かな水面に面した黄金の砂のブランケットのあるフォート・コチ・ビーチは、街でも最高の自然あふれる場所です。揺れるヤシの木や深い藪が並び、周辺はまるで絵のような景色が取り囲んでいます。ビーチはシュノーケリングや、ウインドサーフィン、カヌー、カヤック、スキューバダイビング、カタマラン、パラセーリングなどが好きな冒険好きにも嬉しい場所です。ビーチの一番の魅力はもしかするとここから見える夕日の壮大な景色かもしれません。燃える丸い太陽が静かな水に沈み、空のキャンバスを赤やオレンジに染め上げていく驚きの風景を見つめましょう。チャイニーズ・フィッシング・ネットや帆船が絵のような景色に加わります。沿岸にはヨーロッパ風のバンガローがたくさん点在し、小さな屋台もたくさん出て、とれたての魚で作るおいしい料理を味わうことができます。

コチ城塞遺産

マッタンチェリー宮殿

エルナクラムの中心から10km離れたマッタンチェリー宮殿(オランダ風宮殿)は、植民者の影響を受けたマラヤーラム様式建築の最高の見本です。内装は叙事詩ラーマーヤナやマハーバーラタの場面を描いた17-18世紀の壁画で美しく飾られています。さらに、コーチンの1864年以降の王の等身大の肖像画や、鞘に入った剣、短剣、斧とともに羽飾りのついた祝い事用の槍や、王族の帽子、コーチンの王によって発行された硬貨、銀のスパンコールのついたガウン、シルクや真鍮で作られた王族の傘、さらにオランダによるコーチンの都市計画を見ることもできます。注目すべきは王の寝室にあるラーマーヤナの物語を描いた絵画や、ハスの葉に乗った女神ラクシュミーや、眠るヴィシュヌ神、シヴァ神、女神パルバティーとアーダナリスワラ(Ardhanariswara)、ラマ(Rama)神の戴冠式、クリシュナ神が山を持ち上げる場面、ゴヴァルダン、その他の女神たちを描いた戴冠式のホールの壁画。戴冠式のホールの反対側の部屋にはシヴァ神や、ヴィシュヌ神、女神デヴィの絵や未完成の絵があります。また、クマーラ・サンバハヴァの壁画や有名詩人カーリダーサの作品がある部屋もあります。

宮殿は王ヴェーラ・ケララ・ヴァルマ(King Veera Kerala Varma、1809-1828)への贈り物としてポルトガル人が建てました。オランダ人がかなりの増築を加えたためオランダ風宮殿と呼ばれています。宮殿は王族の信仰する神「パザヤンヌル・バーガヤーティ(PazhayannurBhagavathi、パザヤンヌルの女神))」を祀っています。

マッタンチェリー宮殿

ユダヤ人街とユダヤ教会

マッタンチェリー宮殿とユダヤ教会の間に伸びる麺のように細い通りのユダヤ人街は、街で最も古い場所で、かつては数多くのユダヤ人が住んでいました。今日では、このにぎやかな通りはユニークな手工芸品や、香り豊かなスパイス。貴重な骨とう品を集めるのに最高のスポット。「シャローム」とユダヤ人のあいさつで温かくお店の人に出迎えられ、すてきな品ぞろえのユダヤの記念品や、真鍮の像、パシュミナのショール、中国花瓶、ろうそく、バラ水のスプレーなどを見て豊かなユダヤ文化に浸りましょう。お店を見てまわる際は、スパイスの倉庫の上にある様々なカフェで熱々のコーヒーを1杯飲み、本格的な料理を味わってリフレッシュするのも忘れずに。

伝説ではコチの王は土地の一部を商売に来たユダヤ人にあげたと言われています。この場所はマッタンチェリーと呼ばれ、「マッタン」はヘブライ語で寄付を意味し、「チェリー」はマラヤーラム語で和解を意味します。1341年のペリヤー川の洪水の後、コチ港が形作られ、町はスパイス交易の拠点になりました。1948年にイスラエルが建国するまでは、ユダヤ人街はユダヤ人の主な集落になりました。今日では、ここに残っているユダヤ人はほんの一握りです。

ユダヤ人街とユダヤ教会

ボルガッティ宮殿、ボルガッティ島

ボルガッティ島にあるボルガッティ宮殿は、オランダ風の宮殿で、本土からボートですぐに行くことができます。現在はケララ州観光開発公社の運営するホテルになっており、王族の豪華な生活を体験するのに理想的です。1744年に、とあるオランダ人実業家がボルガッティ宮殿を建設しました。1909年から1947年の間は、イギリス人の住居でした。良質なゴルフコースを誇る島の散策もできます。港のパノラマの風景のおかげで家族にとって最高のピクニックスポットとなっています。通常のボートが本土から出ており、ハイ・コート・ジェッティ(High Court Jetty)からはフェリーでボルガッティ島に行くことができます。島へは2kmのゴシュリー・ブリッジ(Goshree Bridge)を通っていくこともできます。

ボルガッティ宮殿、ボルガッティ島